成長
なんかのウイルスにより熱が出ない風邪が約1週間続いている平川です。
今日少し良くなった気がする。このまま気管支炎にでもなったらマジで泣く。
さて長い間ブログを書いていないような気がしますがそれはなぜかと申しますと、文章書くテンションが上がらないという「ブログ書けない病」という奇病を風邪と同時に発症していたからです。
この病は不定期に現われ、厄介なことにパソコンの前に座っても全然ブログ書く気が起きず結局そのまま営業時間が終了してしまうという恐ろしい症状を引き起こします。
いったんこの病に侵されると周りにいくら「ブログ書け!」と言われても書けません。
恐ろしや・・・
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ ガクガク
しかしそれでも不屈の闘志で今日もヒラカワはパソコンの前に座った。
彼は今日はテキトーでいいからせめて更新だけはしようと心に誓っていた。
風邪でのどは腫れ練習の疲れで体はもう限界だった・・・。
果たして本当に今日はブログを更新することができるのか?ヒラカワには自信がなかった・・・。
それでもヒラカワはある言葉を思い出していた。
『諦めたらそこで試合終了ですよ。』
ヒラカワはその言葉を胸にパソコンの蓋をそっと開けた。
するとどうでしょう!なんと今日はスラスラと書けるではありませんか!
いったい彼になにが起こったのか?それは誰にもわかりません・・・。
そして今日もまた「ケンシの奇妙は冒険」は更新されるのです・・・。
めでたしめでたし!チャンチャン♪
はい、では本番はじめま~す。
今日は時間あるし風邪のせいで頭も朦朧としてるから勢いにまかせてどんどんテキトーに文章書いちゃうYO!
先週の『ナルト』で、ある爺さんが「時はただ刻むものではなく、過去を重ねて少しずつ人は成長していくものだとこいつら(若い忍者たち)をみて確信した・・・!」
(過去に戦争していた里同士が何世代かのちにとても仲良く共闘しているのをみて。)
ってセリフがあったんだけど、これ前から結構自分の中で疑問に思ってたことなんですよ。
ようするに
人(人類)は果たして成長しているか?
ってことです。
戦争という過去を重ねて今現代に生きる人は成長しているか?という疑問が前々から漠然とあったんだけど、どうなんでしょうか?
「人が成長している」というと分かりにくいですが、ようは「人類全体の意識、もしくは倫理?もしくは単純に考え方」は変わったか?成長しているのか?というのが疑問なわけです。
人ってその個人個人をみればそれぞれにまったく違う個性と自我があるのはもちろんなんだけど、人類を大きな一つの生き物だと考えたときに、その生き物は「戦争は良くないもの」だという考えを少しでも持っているかな?
そのでっかい生き物にとっての最高到達地点が「絶対にもう戦争はしない」という思考だとすると、少しでもその理想の思考に近づいたかな?
日本に住んでて完全に平和ボケしてるヒラカワですが(平和ボケってすっごくいいことだと思うんだけど俺は。世界に誇っていい言葉だと思う。)、このでっかい生き物が平和ボケにならない限り世界は平和にならないのでしょうか?
それともそれぞれの人、コミュニティー、国がある程度の武力をもちつつ均衡を保った状態で「絶対にもう戦争はしない。」という考えに至れるのでしょうか?
果たして本当に「人は過去を重ねて少しづつ成長している」でしょうか?
たとえば日本という国だけをピンポイントでみると他の国と比べて少しはその理想の思考に近づいている気はする。(ちなみにここで言ってるのは人と人という小さいレベルではなくて国と国のレベルの話。)
でもお隣の北〇鮮とかアメ〇カとかをみてるとまるでその理想から遠ざかっているような気がする。
(俺としてはこの〇メリカって国が一番足ひっぱてる気がする・・・。なんで戦争の悲惨さを知っていながら爆撃や銃撃でどうにかしようという思考に至れるのか本当に不思議。)
だから成長しているか?という疑問はきっと今の現状だけではわからないし答えが出せないんだよね。
俺としてはきっと何ミリかは進んでる気がしてるけど・・・。